一昨日、夢を見た。
11月に亡くなった父と、湯布院の街を歩いてた。

ふと父が、出店の温泉卵を買って美味しそうに食べる。
しばらくして、また買って食べる。
2つも、多いんじゃない、と言うと、父はじんわり笑った。

そこで、目が覚めた。
一昨日は父の月命日。
病床の私を心配して、帰ってきてくれたのかな。

ありがとう。
久しぶりに逢えて嬉しかった。
涙がこぼれた。

一年に一度の

あぁ、2月にもう終わるんだなぁと、週末の朝、洗濯物を干し終わった後コーヒーを飲みながらぼんやりカレンダーを見た。
そっか、誕生日だ、と、ぼんやり考えながら飲み終わったカップをシンクへ持っていく。
洗いながら、思い出した。
父は、自分から私に電話してくることはなかった。
用事があっても母経由で、自分の携帯から私の携帯に直接は、気恥ずかしいのかかけてくることはない。
けれど年に一度だけ例外があった。
それは、私の誕生日。
大抵夕方、仕事が終わってすぐにかけてくれることが多かった。
「ああ、ioriか。お父さんだ。…誕生日、おめでとう。」
力仕事だったので、疲れて息が上がったまま、けれど充実感に満ちた声で、ゆっくりと言うのが常だった。
「うん、ありがとう」
父は、「おめでとう」と言う時は、必ず語尾まで、はっきりとゆったりと話した。
最後の「う」の音の、やんわり包むような語尾が好きで、だから私も、父に「おめでとう」と言われた時だけは、父の真似をして語尾まではっきりやわらかに、「ありがとう」と言った。
涙が溢れた。
もう、父からの電話は、ない。
あるわけない。ずっと消せない携帯の父のアドレス。ディスプレイに「お父さん」と表示されることはない。
わかりきったことなのに。
それを思い出してから、毎日、その事がふとした瞬間に思い出されてその度に、涙がこぼれる。
自分の誕生日もまた、父との思い出だなんて思いもしなかった、今までは。
自分の誕生日が、こんなに辛いものになることもまた思いもしなかった。
自分の誕生日は自分中心のものだと思ってたのに、そうではなかった。
誕生日は、自分という命を慈しんでくれる人がいることに感謝する日だったのだ。
そんなことにも今まで気付かなかった自分が、そして父の死を以てそれに気付いた自分が情けなくて仕方がない。
今なら言える、祝ってもらったことへの感謝ではなく、自分という命をこの世に送り出し育ててくれた父と母へ。
「ありがとう。」

ヴァリエィション


ベジタリアンになって、それまでの固定概念に囚われず色々作れるようになったメニューをふと考えた。
・バーグ(→どんな野菜でも蒸したり炒めたりして、穀物などでまとめて焼けばOK)
・カレー(→野菜と油とカレー粉などのハーブと塩分があれば煮込まずとも即席OK)
・ラーメン(→じっくり炒めた野菜の滋味で出汁いらず、あとは塩でも醤油でも味噌でもお好み)
考えてみたら、それまでなら何はともあれ「肉がないとコクが出ない、成り立たない」と思っていたもの。
あり合わせでほとんどのものは出来るなんて、なんて素敵。
今日のメニューもカレー。具はキャベツのみ。模試を終えてクタクタの娘のリクエストかつ時間がなかったので。ナンは、発酵時間がなかったのでベーキングパウダーの力を借りました。

疲れててもしょげてても、気力を奮い立たせてキッチンでお料理をする。
気分が乗らなくて何を作ればいいかも分からなくても、ピチピチ元気なお野菜と向き合ってると、不思議と嬉しくなってメニューが湧いてきたり。
そして味見をして、その滋味に胸躍り、思わずにんまり笑っている自分がいることに最近気付いた。
そう、元気なお野菜がいい塩梅に仕立て上がると、なぜかニンマリ笑ってるんです、私。
これって生命の持つ力だなぁ、と心の底から思う。
だから最近は、疲れた時ほどちゃんとお料理をする。
シンプルがいい。
蒸しただけ、塩だけ、背筋のピンと伸びたお野菜は、そうして活かされてパワーをくれるから。
ありがたや。

豆まき

節分。
豆をそのまま撒くのはもったいないし掃除も大変なので、小袋入りのを買って、恵方巻きは精進巻きを作ろうと下準備していたら、母が「買ったから」と、母的精進恵方巻きを持ってきてくれた。
でんぶ、が気にはなったけど、娘も少しならアレルギーも大丈夫なので、せっかくだしとそれを頂く。
さぁ豆まきするよーと、窓を開け、鬼は外(は、フリだけ←豆を捨てるのはいたたまれないので)、福は内...
と、無言の間、二人。
もう、いっか、と窓を閉め、二人で年の数の豆を食べた。
基本的に「何事も後悔しない」のがポリシーなんだけど、やっぱり止めた方がよかったかな、なんて思わず過ってしまった。

四季

コンビニに寄ると、レジのすぐ横に節分コーナーがあった。
恵方巻きのチラシ、鬼のお面&豆セットなどなど。
そうか、節分だなーと思った瞬間のフラッシュバック。

子供の頃、うちの節分は、灯りを消して真っ暗な中でするのがお決まりだった。
真っ暗な中、父が窓を一気に開け放ち、
「鬼はーそとー福はーうちっ!!」
と、父が一番楽しそうに豆を撒いた。
なぜかうちは、父は鬼役をせず、皆で一緒に豆を撒く。
ひとしきり撒き散らしたら窓を閉め、真っ暗な部屋の中でお菓子が撒かれる。
「福はーうちー、福はー内っ♪」
私たち兄弟3人が、キャーキャー言いながら父が放るそれを拾う。
子供なのでそのうち取り合いのケンカが始まって、お開き。
「さーぁ止めて、豆を食え!」
パッと部屋が明るくなり、父がそう号令をかけると、不思議とお菓子を取り合うのを止めて、笑いながら眺めていた母も座り、みんな黙々と、自分の年の数の豆を食む。
母は決まって、自分の年より10個少なく食べる。すると父が、「皆年を取るんだ、誤魔化さずにちゃんと食べろ」と本気とも冗談ともつかず言い、母はまたそれに従って追加の10個を食べていた。
食べ終わると父はまた晩酌をし、母は「終わったあとが大変よ」とブツブツ言いながら、撒き散らされた残りの豆の掃除をして、私たちはお菓子をつまみながらそれを手伝った。
さすがに下の弟が中学生になると豆まきもしなくなったけど、それまでは毎年毎年欠かさず、クリスマスよりも何よりも楽しい我が家の一大イベントは豆まきだったように思う。

帰りの車中、涙が溢れた。
久しぶりに、泣いた。
そして、思う。
上司が言った意味が、今やっとわかった。
季節は巡る。
節分、お雛様、梅見、桜見、海、台風、そして、紅葉。
これから父のいない初めての一年が巡る。
全ての季節も行事も、初めてだ。だって、今までは父がいたから。
その初めての行事毎に、父のいた行事の記憶に新しく、父のいない記憶を重ねなければならない。
辛い。だから、辛いんだ。
けれどそうするうちに昇華されるんだろう。
季節は巡る、ずっと、そう思いながら。

レタスのカレー


今日の晩ごはんは、izumirimunさんのレシピから。
レタスの和・豆乳グリーンカレー、車麩のカツ、人参とおからのホットサラダ
宅配野菜の中に立派なレタスもあって、大量に消費できるメニューをと考えていたら!今日のizumimirunさんのレシピはレタスカレー
izumimirunさんはチャイナカレーでしたが、ちょっとアレンジさせて頂いて、ゆず胡椒を加えた和っぽいカレーに。
izumimirunさん、これもう私的に悶絶ものです!いやー、ほんとに美味しい!明日も作りたいくらいの出汁いらずのカレー、ごちそうさまでした。
あとは最近成長期でモリモリ食べる娘のリクエストの車麩のカツ、金美人参を蒸し煮してあまってたおから煮と混ぜたホットサラダ。
そうそう、最近スーパーで見るようになって気に入っている「金美人参」。これ、黄色と言うか、綺麗な透明感のある金色してるんです。
あっさりでもとっても甘くって、生でも煮ても何してもとっても美味しいので、最近激しくリピート中です。
まだ寒いけど、でも何となく春の空気を感じるこの頃。きっともう春に向かってどんどん進んでて、その便りの春野菜をいただけるのももうすぐかなーと待ち遠しいです。
今日も命、ありがとう。